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筆の動く儘に

妄想と創作の狭間で漂流する老人のブログ

ミニシアター

短編

 ここはミニシアター。前宣伝をバンバン打ついわゆる巷で評判の映画を上映するのではなく、国籍やジャンルを問わず質の高い作品を上映するこじんまりとした映画館。予約していた前から五列目の中央の席に座る。館内は照明が照らされ予告のムービーもまだ始まっていない。タブレットを取り出し館内の雰囲気をメモしていると左隣に座っている老紳士がやめてくれと言ってきた。まだ何も始まっていないのにと思ったがすみませんと謝ってタブレットを鞄にしまった。やはりこういう映画館に来る人は映画鑑賞に一家言持っているようだ。恐らく家を出る時から気持ちは映画に集中しているに違いなく、言わばそれは映画を観る作法なのだと理解し申し訳ない事をしたなと反省した。

 館内が薄暗くなり予告のムービーが始まった。老紳士は肘掛けに肘をつき胸の前で両手の指を交互にからめ、組んだ手を小さく前後に揺らしながら予告ムービーを観ている。右肘をついている肘掛けの半分は僕の左肘にも権利があるんだぞとちょっと思ったがまあいいか子供じゃあるまいしと自分を戒めた。いよいよ館内は真っ暗になり本編が始まった。静かに物語の導入部分が進んでいく。

 数分程度の導入部分が終わり物語に触れるセリフを登場人物が話し始めた頃だった。グフ〜・・・フハ〜・・・かすかな鼾が僕の左隣から聞こえてきた。えっ、どういうこと?家を出る時からの気持ちの高まりはどうした。タブレットはしまってくれとあなたは言ったじゃないか。そのあなたがグフ〜、フハ〜ですか。

 老紳士は時々目を醒ますがすぐに寝息を奏でる有り様。幸い高鼾を奏でる事はなかった。一時間半余りの映画の最後の五分くらいのところで老紳士は完全に眠りから醒めた。深い息を吐く音が覚醒したことを物語っている。なんとか最後の重要なシーンは観る事が出来た老紳士だったが果たして理解出来ているのかどうなのか。エンドロールが終わる最後の最後まで席を立たないところはさすが作法を心得ている。館内に明かりが灯ると老紳士は小さな声で呟いた。「終わった」と。