京都北山に100年以上の歴史を持つ老舗洋食店のキャピタル東洋亭本店へ行ってきた。その時の満たされた期待と自分の固定観念の浅はかさ故に面食らった体験をご紹介しようと思う。
まず、入り口で私を出迎えたのは冷蔵ショーケースにピラミッドのように積まれたトマト。湯剥きしたトマトサラダが以前から好物だった私には圧巻の光景で思わず武者震いしそうになった。というのも、湯剥きしたトマトサラダを最後に食したのは、かれこれ2年前の夏のことだから武者震いしそうになるのもご理解いただけると思う。このピラミッドトマトの演出は、まさにこれから始まる美食の序章としては申し分ないおもてなしである。注文したのは名物の「100年洋食ハンバーグステーキ」そしてデザートには定番のケーキとアイスコーヒー。
程なくして湯剥きトマトサラダが運ばれてきた。本日のトマトは岐阜県産を使用しているとのこと。
躊躇なく私はトマトにナイフを入れた。そしてその一切れをフォークに突き刺し口に運んだ。その味は全くもってトマトの味だ。小手先の調味で誤魔化さずトマトが自らのアイデンティティを雄弁に語るその尊い味わいに、長年これを求めていた私の期待は完璧に満たされた。心が落ち着くというのはこういうことを言うのだと思う。
そして主役の100年洋食ハンバーグステーキ。熱せられた鉄板の上に鎮座するドーム状に膨らんだアルミホイル。この密室の横には蒸したじゃがいもが2個控えめに並べてある。この100年洋食ハンバーグステーキはありふれたデミグラスソースをやめて、濃厚なビーフシチューに変更されている。これは間違いなく老舗の拘りに違いない。濃厚なビーフシチューをハンバーグに纏わせるという贅沢な企みは、一歩間違えばビーフシチューが主役になる危険性をはらんでいる。にも拘らず、東洋亭という舞台監督は敢えてビーフシチューを脇役に起用した。主役の座に慣れてはいるであろうハンバーグステーキも、脇にビーフシチューが控えることで無難なデミグラスソースが脇を務める舞台よりも一層の覚悟が必要である。そしてそれが一段高い次元のハンバーグステーキへと成長させたのである。意図してこの配役を決行した舞台監督に、私は脱帽せざるを得なかった。
蒸したじゃがいもも私の大好物である。米食をやめてじゃがいもだけにしてもいいと思うくらいの好物である。端役と言えども、存在感のある端役がいるからこそ、舞台の質が上がるのは自明の理だ。
しかし、この美味い料理とは裏腹に、この空間を特異なものにしていたのは私の鼓膜を刺激するBGMの存在である。飲食店のバックグラウンドミュージックにはいささかうるさい私だが、東洋亭の選曲には虚を突かれた。それはヨーロッパの寂れた遊園地で流れていそうな、メルヘンチックでありながらも安っぽい哀愁を帯びたメロディ。主旋律を奏でるのは決していい音とは言えないアコーディオンか音がかすれたオルガンに違いない。とにかく決して心が安らぐ音楽とは言えない。かといって耳障りとも言えない。あえて言語化するならば、5次元の幻惑の狭間を浮遊させられているような、まるでインターステラーのクーパーになったような感覚だ。彼との違いはその空間の奇妙な心地よさに自然と身を委ねられたところだろう。舞台監督の計算なのか、はたまた偶然なのか分からない絶妙な音の空間デザインは、間違いなく他店では味わえない代物であり、私の浅はかな固定観念を恥じるべき選曲である。
そしてその奇妙な浮遊感から私を現世に引き戻したのは、栗のミルクレープとアイスコーヒーという堅実で無難なコンビネーションだった。栗の持つ骨身に染みる優しい甘さが、上質な文学を読み解くようにゆっくりと身体の隅々へ浸透していく。まさに食後の終止符にふさわしい味。そこに、私が求めていた「正しい苦味」を持つアイスコーヒーは完璧なタイミングの附け打ちの役目を果たし、今日の100年洋食ハンバーグステーキという舞台を引き締めてくれた。まさに完璧な舞台を観た時のような満足感だ。
視覚と味覚を満たし、予想外の聴覚的浮遊感までをも提供してくれる100年の名店。アイスコーヒーを飲み終えて一息ついた時、ふと梶井基次郎の『器楽的幻覚』を思い出した。この総合芸術を体感すれば、抗うことなくリピーターの列に加わるのが、最も自然な選択ということになるだろう。
