筆の動く儘に

妄想と創作の狭間を漂流する老人のブログ

文体診断

【有島には大いなる苦悶があった。 此苦悶があったからこそ彼は自殺した。 そして此苦悶は一婦人の愛を得んと欲する苦悶ではなかった。】※引用但し引用元は失念。


この事件は彼が彼たるがゆえの心中なのであった。遺体の発見まで一ヶ月ちかく経っていたため遺体は腐乱していたが、男の遺体の懐に遺書があり、それでこれが有島武郎だとわかり、心中相手が波多野秋子という女性であることも分った。大正五年に父と妻を同時に亡くした後、大正十二年に有島は『婦人公論』記者の波多野秋子と恋仲になり、その六月九日、軽井沢の別荘で縊死心中を遂げた。発見されたのは一ヶ月たった七月七日早朝のことであった。

波多野秋子は結婚していた。そしてとても美人だった。同時代の小説家の芥川龍之介が『婦人公論』に寄稿したのも彼女の美しさがあったからと言われている。また、永井荷風も彼女の依頼には喜んで応じたことから兎に角魅力的な女性だったようだ。そんな波多野秋子だが後に心中する有島武郎との接近は秋子からのアプローチだったようだ。妻を亡くし独身でイケメンの有島武郎はモテたようだ。そんな男を自分に振り向かせようとした秋子は次第に自分の方が彼を好きになっていった。

 

読書のきっかけというものはどこにあるのか分からないものである。先日、文体診断というものを知り、今までに自分が書いた幾つかの文章をチェックしてみると有島武郎に一致するという診断結果だった。有島武郎は明治末から大正時代に活躍した白樺派の中編小説家。代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜しみなく愛は奪ふ』『小さき者へ・生れ出ずる悩み』がある。 恥ずかしながらこれら代表作のタイトル名は知ってはいたが読んだことは一度もない。従って僕の拙い文章のどの辺が一致するのか皆目検討がつかないし、後述するコスモポリタニズムなど微塵も考えたことがない。しいて言えば楽天的で自我中心主義という点が共通するところか。興味が湧いたのでこれを期に少し有島武郎を読んでみようかと思いネットで彼のことを検索してみた。するとどうだろう、やはり作家などと言う人種はとんでもない輩が多く、有島武郎も例に漏れずどこかおかしい人間だった。その生涯を知るにつけ、人間的にはどうにも興味が沸かないというか好きになれない人物である。恵まれた生い立ち、出会った人からの影響、自身が自己に課す生き方、そしてそれが破綻しての心中という形での自死など、凡人の僕にはおおよそ理解出来る物ではない。それ故に余計読んでみようと思うこの矛盾こそ、読書のきっかけというものなのかもしれない。


【同人誌「白樺」は、文学と美術がジャンルを超えて響き合う、総合芸術雑誌でもあった。創刊に携わった者の多くは、武者小路実篤志賀直哉、里見トン、柳宗悦郡虎彦有島武郎、有島生馬など学習院出身者である。思想面での代表者、武者小路に典型的なように、総じて「白樺」の自我中心主義や普遍主義やコスモポリタニズムは、あるべき前提と社会意識とを欠いた、良くも悪くも楽天的なものであった。自我中心主義を小説の技法として純化し、大成することによってそんな「白樺」を突き抜けたのが志賀であるとすれば、思想、行動の面でそれを逸脱していったのが有島武郎であり、両者の振幅がそのまま白樺派の奥行きを形作っている。1910年に創刊され、23年、関東大震災で幕を閉じた「白樺」は、足かけ14年、全160冊というその刊行期間の長さ、同人の変動の少なさ、影響力の大きさなどからして、近代日本最大の文芸同人誌と言える。1923年8月廃刊。】※引用但し引用元は失念

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