筆の動く儘に

妄想と創作の狭間を漂流する老人のブログ

僕が夏目漱石を尊敬する理由

縄文時代が終わり弥生時代になると人々は新たな苦しみと共存しなくてはならなくなりました。縄文人は狩猟民族として生きていたが弥生人は農耕民族として生きたのであります。つまり獲物を探すために大地を駆け回り獲物を発見すると格闘して捕まえる暮らしから土をいじり地べたに座り込んで作業する暮らしへと変わったからです。それはつまり首から肩にかけての筋肉のこわばりとの戦いが始まったということなのです。時代は進み奈良時代。人々はずいぶん成長し西暦701年に大宝律令という法律を制定しました。その後、西暦757年には大宝律令のアップデート版の養老律令が発令されました。面白いのはその中に「按摩」が学問として奨励されていたことです。按摩が法律に書かれるぐらいなので弥生時代に発症した首から肩の筋肉のこわばりがいかに人々を苦しめてきたのかがよく分かります。そしてその養老律令発令から1264年。弥生時代から数えるとなんと2千数百年以上の長い間、首から肩の筋肉のこわばる症状を特定する言葉が無かったのでありませんでした。これほど我々を苦しめる症状なのに何故名前がなかったのでしょう?恐らくそれにふさわしい名称を誰一人として考えることが出来なかったのだろうと思われます。しかしその時は来ました。明治42年、西暦1909年に「門」という小説の中にその言葉は登場したのです。そうです。かの文豪夏目漱石が書いた小説「門」の中に「肩こり」という言葉が初めて登場したのです。以来日本人は首から肩の筋肉のこわばりを「肩こり」と表現するようになりました。そして今では猫も杓子「ああ、肩こった」と言うようになったのです。一方世界をみると未だどこの国の言葉にも肩こりという単語は発明されていません。これは何を意味するのでしょうか。2千数百年もの間その名称を考えることが出来なかった日本人が仮にアホだったするならば、その言葉を発明できていな他の国々の人々はもっとアホだということになるのではないでしょうか。

 

youtubeに僕のおしゃべりと朗読を投稿しました。
僕が夏目漱石を尊敬する理由についてのおしゃべりと寝落ちを誘う朗読しています。今回は島崎藤村の「強敵」を朗読してみました。お聴きくださればとても嬉しいです。

 

僕はこの島崎藤村のようにリズミカルで簡潔な言葉が綴られた詩がすきなのです。
五 七 五 や 五 七 五 七 七 、七 七 七 五 などの日本語によく合うリズムを生かした詩や文章がとても心地いいのです。

 

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