筆の動く儘に

妄想と創作の狭間で漂流する老人のブログ

意識とは

片手にコンビニ弁当の入ったビニール袋、もう片方の手にはお湯を入れたカップラーメンを持った男が歩道橋から降りてくる。信号待ちをしている交差点の向こう側およそ百メートルのところにコンビニがある。おそらくそのコンビニから出てきたのだろう。コンビニの店内で弁当をチンしてカップラーメンにお湯を注いで百メートル歩いて歩道橋の階段を登り三十メートルほどの歩道橋を歩きそして歩道橋の階段を降りる。恐らくこのあたりで三分ぐらい経っていると思う。家で食べるのか職場で食べるのか知らないけど食べる頃にはもう麺は伸びているだろうしチンしたお弁当は冷めているに違いない。こんな昼食は僕は嫌だ。だいたい一回の食事に要するゴミが多すぎるじゃないか。この交差点の周りにはいくつかの外食チェーンがある。それらのお店で食べればゴミは出ないし温かい物を温かいうちに食べられる。なのにコンビニ弁当とカップラーメンを選択したというのはきっとお店で食べるのが嫌なんだろうな。僕自身はコンビニ弁当もカップラーメンもどうも信用できない。まだ外食チェーンのほうがマシだと思っている。でも彼はそうは思わないんだろう。決して彼が間違っているとは思わない。いろんな人がいていろんな考えがあってそれで世の中うまくいってるのかもね。